私の恋人はどうしようもないDV男でした
僕は大阪で小さなマジックバーを経営している。
そこは夜ごとに様々な来客がある。その日は業務をアルバイトにまかせて、たまたま客席でハイネケンを飲んでいた。横の女性と会話していた。
「ディズニーランドの思い出ですか?」そのとき彼女は笑った。「ディズニーランドの花火をバックに、彼氏に蹴られたお腹を押さえてうずくまってたことですかね」
その発言にビールを吹きそうになった。雑談のなかに飛びでた〝夢の国と暴力〟というミスマッチがすさまじかったから。
それはどういうことなんですか、と僕はいった。
聞けば、彼女の元カレはいわゆる〝DV彼氏〟らしかった。「いつも腕にアザを作ってたんですよ」と笑いながら彼女は長袖をさすった。
「なぜ腕に?」
「彼氏の──ああ元カレでした──のパンチとかキックを防いでると、そうなるんです。お前が悪いんだぞって。最後の方は〝おいビッチ〟とか名前も呼んでもらえなくて」
僕は黙った。「今はもう大丈夫なんですか?」
「はい」彼女はうなずいた。明るい表情だった。「結構ずるずるしてたんですけど。最後、頭にお茶をかけられて、裸足のまま、家を追いだされたときに親に助けてもらったんです。その車のなかで、ふと親友に〝いつか子供が同じように暴力をふるわれても耐えられるの?〟っていわれたことを思いだして。ああ、もうダメだなって冷めたんです」
「夢みたいに?」
「かもですね」彼女は笑った。いまは恋人探しに四苦八苦しているようだった。「あれは悪夢でしたね。ディズニーランドのキャストさんも困ってましたから」
あいつタイプだ、俺が口説く
彼女はiPhoneを時間をかけてスクロールしたあと写真をみせてくれた。その元カレは、キングコング西野氏似の、鼻筋のとおった男前だった。
「シンプルにカッコいいですね」
「ですよね」彼女は画面をながめたあとiPhoneをカウンターにふせた。「会社の先輩だったんです。すごく仕事のできる人で。まわりの評判も良かった。どうも会社の入社面接のときに、私をみて〝あいつタイプだ、俺が口説く〟とか同僚に宣言してたみたいです」
「目をつけられてたんですね」
彼女は考えるようにグラスの水滴をぬぐった。「いまから思えば顔のタイプとかじゃなくて〝歯向かってこなさそう〟とか、そういうのを見抜かれてた気もするんですよねえ」
「その男前は遊び人ってわけじゃないんですか?」
「だと思いますよ。ちゃんと何回かデートして、それで告白されたし」
「順序は踏んでますね」
「あ、でも途中元カノと──それも職場の後輩なんですけど──密かに浮気してることが発覚しました。でも強くいえなくて。私公認の浮気みたいになってるときがありましたね。そこも色々あったんですけどね」
「全然ダメじゃないですか」
「ですよね」彼女は頭をさげた。
「それで、付き合って、いつから暴力を?」
「きっかけですか?」彼女は眉をよせながら両手でカクテルを飲んだ。「不思議ですね。忘れちゃってる──なんでだろう?」
「脳が忘れたかったんですかね」
「あ、でも、その時期に〝風立ちぬ〟をみにいったんです」
「あれは良い映画だ」
彼女はうなずいた。「私もめちゃくちゃ感動して。途中、三回も泣いたんです。でも、映画館で泣くたびに太ももをギュッてつねられてました。確か、そのあと彼の部屋で〝お前に感情があるはずないだろ〟って殴られた記憶がありますね──あの、この話って参考になります?」
チヂミは食べるものに困ったときに食べるものだろうが
「いまでも覚えてるのは──私けっこう料理つくったり尽くすタイプなんですけど──元カレも褒めてくれてたんです。まあ美味いじゃないか、みたいな」
「料理上手はいいことですよ」
「で、ある日、元カレのお母さんが来たんです。自慢の手料理作れよって感じで。良い感じの人で。元カレも良い息子って感じで。和気あいあいしてました。そのときはハンバーグと、あと、お惣菜を作っりました。そのなかにチヂミがあったんです」
「それで?」
「母親が帰ったあと、元カレの顔が険しくなって、いきなり蹴られました」
「うん、どうして?」僕は飲みかけたハイネケンを置いた。
「チヂミは食べるものに困ったときに食べるものだろうがって」
「はい?」
「いや、わからないんですけど。わざわざ作るものじゃないって」
「それで怒ったんですか」
「たぶん」彼女はうなずいた。
「そんな理由で蹴られて、どういう気分なんです?」
「とにかくごめんなさいって感じです。私が悪いんだろうなって」
「そんなわけないでしょう」
「ですよね?」彼女は笑った。「あんま友達にも相談とかしてなくて。そのときは自分と彼の世界だけだったっていうか──携帯チェックとか束縛もあったし──あとで気づいたんですけど。うん、やっぱDVかなって思ったら友達に相談すべきですよね」
僕は黙った。棚にならんだボトルをながめた。頭のなかで色んなことを考えた。いつになっても人生はわからなかった。
「ちなみにお母さんは変だったりしました?」
「普通でしたよ」彼女は天井にならんだ電球をみあげた。「あ、でも、なんか置引き事件かなにかの話になったんですよ。たまたま。そのとき元カレもお母さんも〝盗まれる原因を作った方が悪いよねえ、その人が用心してたら盗まれなかったかもしれないのに〟とかいってたんです。それに違和感はありましたね」
「うん?」
「えっと──やっぱ盗む方が悪くないですか?」
「だと思いますよ。哲学者にいわせたら色々あるだろうけど」
「ですよね。それで、あ、悪いことする方の味方なんだって思ったのを覚えてます。ほら、盗撮はミニスカ履くのが悪いみたいな感じかも」
「親子そろって?」
「はい」
「なんでも被害者が悪いってことか」
「わからないです」彼女は首をかしげた。「とにかく盗まれる側がダメって」
「わかりたいとも思わないですけどね」僕はカウンターの埃をはらった。
女子力って、悪い男をさける能力のことをいうんじゃないですか?
僕が最後の一口を飲むと、彼女は二杯目をおごってくれた。話を聞いてくれているお礼だといった。なんのお礼かはわからないけれど、その好意に甘えることになった。
僕は緑のビンを彼女のグラスにぶつけたあとでいった。「結局、女性の人生って、悪い男を見抜けるかにかかってると思うんです」
「それ、この歳になるとわかってきますよね」
「DV男の特徴というか見抜く方法ってあるんですか?」
彼女はグラスをみつめた。考える顔をした。「ないですね」
「まさか」
「なんだかんだ三人DVっぽい彼氏がいたんですけど。半年はゼッタイにわからないんですよ。空気も感じさせないっていうか。ちょっとずつ様子見されてたのかもしれません」
「その半年はゼッタイ?」
「ゼッタイわからないですね」
「あれって思うことは? デート中に店員にキレたとか」
「むしろ優しいくらいでしたよ」
「経験者が語るわけですからね。本当にみわける方法はない?」
「ないですね」彼女は言い切った。
「それじゃ宝くじみたいに半年後までアタリかハズレかわからないんですか」
「あ、でも」彼女は顔をあげた。「ちょっとモテる女友達がいるんです。その子に付き合いたてのころDV彼氏に会わせたんです。やっぱ彼氏はめちゃくちゃいい顔してました。でも──」
「でも?」
「そのあとで〝彼氏さん、ちょっと目が死んでない?〟って友達にいわれて」
「なるほど」
「そのときは気にしなかったんですけど。そのモテる子は男を見る目があるというか。そのDV彼氏みたいなのに引っかからないと思うんです──なにかに気づいて」
「わかる気がします。上手い女性は悪い男に近づかない」
「私は逆に引き寄せちゃうみたいなんですけど」彼女はグラスを口につけた。「その、本当の女子力っていうのは料理ができるとかじゃなくて──そういう悪い男をさける能力のことをいうんじゃないですか?」
「そういう能力?」
そのとき僕の頭のなかに直感が生まれた。
次の瞬間、その発見は誰かのためになるだろうから文章にしてもいいだろうか、と僕はいった。彼女は不思議そうな顔をした。そのあと笑って許可をくれた。
三杯目は僕が奢ることになった。
「別れてから二年くらいして。一度、元カレが家にやってきたんです。出張だから泊めてくれって。もちろん何もなかったですよ。ていうか──彼は結婚してたんです。でも泣きながら〝お前のせいで俺も歳だから結婚しなきゃいけなくなったんだ。頼むからヨリを戻してくれ〟って土下座されました」
「それで?」
「断りましたよ」彼女はグラスをゆらしながら笑った。「そのときには私のなかで何かがなくなってたんです。あのときは、たくさんあった何かが」
そこで三杯目のドリンクがやってきた。
僕たちは乾杯した。そしてグラスがぶつかる瞬間に思った。ねえ、まったく僕たちは愛について語るとき、いつだって何もわからないままで、自分が、いつまでも初心者だって感じがするよな、と。